邪馬台国の首都は伊都で、卑弥呼の墓は平原遺跡だったらしいぜ

1 :
ドナルド・トランプ
2017/02/27(月) 22:12:50.57
 
【伊都国】
魏志において王がいて魏の郡使が駐在すると書かれた伊都国は、人口が1000戸と少ない。
卑弥呼の王宮の下女は1000人とあり、伊都には王族の他に王宮を運営する舎人と采女、その家族がいたことになる。
近隣の奴国が商業都市として膨張したのとは対象的であり、世俗の商業都市としての博多奴国と、政治・祭祀・外交のための聖なる王都である伊都は明確に分離されていた。
伊都国には平原遺跡という3世紀前半の女王墓があり、方格規矩四神鏡と内行花文鏡、玉を中心とする豪華な副葬品を持ち、鳥居とおもわれる痕跡がある。
特に史上最大の銅鏡であるいわゆる八咫の鏡が5面含まれていることから、強大な女王がいたことがわかっている。
2世紀の倭国大乱以降では卑弥呼が最初の女王であるため、平原の被葬者の最有力候補が卑弥呼である。

伊都国の卑弥呼の宮はどのようなものだったか。
平原遺跡の目の前には高祖宮があり、後世には東側の高祖山とクジフル山の山頂を囲む怡土城および高祖城があった。
これが筑紫の日向の高千穂宮の実体であり、高祖宮の古名が高千穂宮であったと考えられる。
ニニギは高千穂のクジフル岳に降臨してその西側に埋葬されたとあり、三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡などがまさにニニギ王家の王墓である。
三雲南小路遺跡の拝殿であり漢の金印を保管していた細石神社、高祖神社の目の前の平原遺跡から出土した八咫の鏡などが証拠である。
魏志には、卑弥呼の宮城は楼閣高しと書かれているが、単に高い建物があっただけでなく、高祖山やクジフル山の山頂にまで楼閣が配置されていた可能性がある。

伊都国の官は爾支と記されているが、ニニギ、ニギハヤヒなどと同じ系統の名であり、神道における神職を意味する禰宜にも通じる。
平原遺跡には三種の神器が副葬されていた他、鳥居などの遺構があり、いわゆる神道の形式が整いつつあったこともわかっている。
王宮である高祖宮(高千穂宮)は伊都国から日の出の方にあり、卑弥呼らは太陽を背にして君臨していたことになる。
高千穂宮から始まる神武東征の時、神武は天の子は太陽を背にするべきだと発言している。
太陽信仰が伊都国における神道の基本形であり、後の伊勢や宮中における祭祀に継承されている。
伊都国は魏志と記紀の貴重な接点であり、記紀の伝承に絶対年代を与えることができる。

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邪馬台国の首都は伊都で、卑弥呼の墓は平原遺跡だったらしいぜ

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2017/02/27(月) 22:12:50.57
 
【伊都国】
魏志において王がいて魏の郡使が駐在すると書かれた伊都国は、人口が1000戸と少ない。
卑弥呼の王宮の下女は1000人とあり、伊都には王族の他に王宮を運営する舎人と采女、その家族がいたことになる。
近隣の奴国が商業都市として膨張したのとは対象的であり、世俗の商業都市としての博多奴国と、政治・祭祀・外交のための聖なる王都である伊都は明確に分離されていた。
 
 
WS000765
 
伊都国には平原遺跡という3世紀前半の女王墓があり、方格規矩四神鏡と内行花文鏡、玉を中心とする豪華な副葬品を持ち、鳥居とおもわれる痕跡がある。
 
特に史上最大の銅鏡であるいわゆる八咫の鏡が5面含まれていることから、強大な女王がいたことがわかっている。
2世紀の倭国大乱以降では卑弥呼が最初の女王であるため、平原の被葬者の最有力候補が卑弥呼である。
 
 
伊都国の卑弥呼の宮はどのようなものだったか。
平原遺跡の目の前には高祖宮があり、後世には東側の高祖山とクジフル山の山頂を囲む怡土城および高祖城があった。
 
これが筑紫の日向の高千穂宮の実体であり、高祖宮の古名が高千穂宮であったと考えられる。
ニニギは高千穂のクジフル岳に降臨してその西側に埋葬されたとあり、三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡などがまさにニニギ王家の王墓である。
 
 
三雲南小路遺跡の拝殿であり漢の金印を保管していた細石神社、高祖神社の目の前の平原遺跡から出土した八咫の鏡などが証拠である。
 
 
 
魏志には、卑弥呼の宮城は楼閣高しと書かれているが、単に高い建物があっただけでなく、高祖山やクジフル山の山頂にまで楼閣が配置されていた可能性がある。
 
 
 
伊都国の官は爾支と記されているが、ニニギ、ニギハヤヒなどと同じ系統の名であり、神道における神職を意味する禰宜にも通じる。
 
 
平原遺跡には三種の神器が副葬されていた他、鳥居などの遺構があり、いわゆる神道の形式が整いつつあったこともわかっている。
王宮である高祖宮(高千穂宮)は伊都国から日の出の方にあり、卑弥呼らは太陽を背にして君臨していたことになる。
 
 
高千穂宮から始まる神武東征の時、神武は天の子は太陽を背にするべきだと発言している。
太陽信仰が伊都国における神道の基本形であり、後の伊勢や宮中における祭祀に継承されている。
伊都国は魏志と記紀の貴重な接点であり、記紀の伝承に絶対年代を与えることができる。

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