清盛と頼朝はどっちがすごいの?

1 :
2012/01/11(水) 21:37:58.36
 
どっちがすごいのか日本史的な意義を語るスレッドです。
 
WS000768
 
WS000769
 

 

 

 
8 :
2012/01/12(木) 10:21:35.64
 
幕府機構を作り上げたパイオニアとして日本史の偉人五指に入るよね、頼朝は。

18 :
2012/01/14(土) 01:57:44.48
 
そりゃ頼朝のほうが上だよ
親父からの財があった清盛に比べて頼朝にあったのは貴種という生まれそれだけだもの
19 :
2012/01/14(土) 01:57:44.83
 
子孫を残せなかった頼朝は負け組。
22 :
2012/01/14(土) 09:20:05.89
 
顔のでかさと腕力は頼朝の勝ち
29 :
2012/01/14(土) 23:27:16.40
 
歌詠みの坊さんに弓について質問した頼朝
30 :
2012/01/15(日) 03:01:19.32
 
頼朝って最近テレビにちょいちょい出ているけど
そんなにすごいやつなのか?
31 :
2012/01/15(日) 03:40:27.54
 
清盛は貴族制に乗っかっただけ
頼朝は関東の武士に担がれただけ

後白河こそ貴族から武士への権力移譲を全部仕掛けたすごい人物

32 :
2012/01/17(火) 09:00:14.52
 
>>31
それは後白河法皇を過剰評価し過ぎているのでは…
33 :
2012/01/17(火) 16:22:49.44
 
後白河法皇は武士の台頭という事態にただ流されてるだけのように見えて
実は日本を破綻させないように清盛、義仲、義経、頼朝を誘導しつつ軟着陸させたんだよ。
俺はそう思ってる。
36 :
2012/01/25(水) 01:44:33.62
 
清盛は武士でありながら貴族の地位を極めた点が凄い。
頼朝は後に幕府と呼ばれる統治機構を初めて作った点が凄い。
39 :
2012/01/26(木) 12:22:05.54
 
昔、金田が古今の選手でどっちがすごい?と聞かれて、
選手はポケモンじゃないから答えようがないと言ってたのを思い出した
41 :
2012/01/30(月) 00:12:27.24
 
しかし海外に対する視線は頼朝がわからんだけに清盛に分があるしなぁ
42 :
2012/01/30(月) 05:52:57.32
 
頼朝の作った幕府という
公武分離した命令系統がうまくいきすぎて
後々まで基本同じ制度になったのはマイナスも大きい
どうやったって正統性に瑕疵があるわけだし、
基本的には武士のための政権
 
そういう意味で
清盛-秀吉ラインの方が
頼朝-家康ラインよりも好きだ
上記は海外にも積極的だし
49 :
2012/02/01(水) 09:28:53.09
 
>>42
それは思い込み
鎌倉は明らかに海上の支援を期待した都市
家康は海外交易に秀吉以上に積極的
51 :
2012/02/01(水) 13:03:09.41
 
マジ受けるんだけど、超承久の乱〜
52 :
2012/02/01(水) 13:25:26.50
 
すいませんでした
56 :
2012/02/04(土) 20:54:50.15
 
以仁王は親王を勝手に名乗って出してるから、正当性がはなはだあやしい
ないよりはあるほうがいいという程度
59 :
2012/02/07(火) 15:29:15.88
 
吾妻鏡が28万対17万。
兵力で5:3、かなりの激戦になると言うのが鎌倉の大方の認識だったんだろう。
阿津賀志山の4日がかりの決戦に勝利した後も、用心深く掃討しながら平泉に進んでる
 
  
川合康は前九年合戦の厨川柵の戦いの9月17日から逆算して頼朝が軍を発向したと書いてるが、
それが事実だとしたら本拠地制圧に2か月は要すると考えてたわけだ。
頼朝のそれまでの平氏との合戦で最大の山場だった一の谷でも1日で決着がついてるからな
72 :
2012/02/12(日) 22:32:46.86
 
頼朝公が圧倒的にすごい
75 :
2012/02/21(火) 15:16:24.16
 
後白河院があまりにも統治能力がないから、
武家にいいようにされてしまったんだろうがw
 
皇室と朝廷の権威を地に落とした張本人だよ
もう凡愚すぎて歴史に名前を残しちゃったタイプ
同じ時間軸で登場してくる人物が清盛だとか頼朝だとか大物すぎて、
そのあげく、「なんかこの院もすごいんだろう」と、みんなが勘違いしちゃっている
 
 
その後の天皇家は、後鳥羽院をみても、後醍醐院をみても、
王政復古が悲願となっていて、その苦労は本当に涙ぐましいものがある
そこまで貴族社会を自壊させた後白河院は、朝廷にとっては完全に「0点」君主
 
後白河院をあたかも時代に翻弄された名君がごとく扱うのは、
あまりにも、うがった見方だろうよ
過大評価にもほどがある
77 :
2012/02/21(火) 23:44:15.17
 
>>75
「時代に翻弄された名君」
どっちだよw
83 :
2012/03/01(木) 20:44:31.66
 
秩父氏はそうでもないんじゃないの?武蔵は平氏の金城湯池でしょ
(もっとも河越、畠山、江戸らは勢力そがれてしまうが)
房総、相模や知行国主が変わった伊豆はそれに該当するけど

 

 

93 :
2012/05/20(日) 18:25:10.22
 
同じ「氏」という意識は当然あったでしょ。だからこそ「氏の長者」と言うわけで。
室町時代は、村上源氏と清和源氏で長者を交替で分け合ってるしね。
  
それに、頼朝の時代、武者と貴族は別に対立概念じゃないよ。
関東武士団が担ぎやすい貴族として頼朝が選ばれたわけだし。
95 :
2012/05/21(月) 12:58:32.20
 
源氏重代の太刀・友切
105 :
2012/07/25(水) 22:43:39.10
 
義経好きからは嫌われてるがその他には嫌われてないだろ
好きでも嫌いでもない無関心が圧倒的
111 :
2012/07/26(木) 09:43:05.19
 
安定政権を作るための必須要素を語るのに、政治力より軍隊指揮能力を上に置くようなら単なる馬鹿だよ。
平家追討の軍事力は誰の政治力で結集したのか分かってないのかと。
113 :
2012/07/26(木) 09:56:33.24
 
>>111
北條の政治力だよ。
118 :
2012/07/26(木) 10:33:25.08
 
その当時の北条は政治力も軍事力もほとんど無いじゃん
あるのは頼朝の嫁の実家という婚姻関係だけ
頼朝死後に安定させていったのは政子とか泰時の功績ではあるけどさ
128 :
2012/07/28(土) 04:30:47.97
 
当時の大陸は宋の時代で
石炭を使用したプレ産業革命の時代が始まっていた
アジアの経済はプレ近代の様相を呈していた
これを理解していたのは清盛
彼は交易による富で日本を支配しようとした
 
 
頼朝は農村経済の代弁者
当時の日本は農村経済だった
農民の土地所有権と裁判権を勝ち取ることで
農民貴族による階級革命ともいえることをなしとげたのが頼朝の鎌倉幕府
 
 
世界が見えていたのは清盛
しかし日本の現実に立脚したのは頼朝
どちらが上かは簡単には言えない
132 :
2012/07/30(月) 02:21:32.79
 
頼朝はなぜ奇人変人なのか
137 :
2012/08/13(月) 05:35:23.16
 
頼朝はなぜ源氏の恥と有名だったのか
139 :
2012/08/14(火) 00:28:14.12
 
奥州藤原氏の体制を参考にしたという説もある
141 :
2012/08/15(水) 13:43:18.26
 
中央志向の頼朝と、土着志向の周囲とが綱引きしてたのが
ちょうどいいバランスの時にたまたま頼朝が死んで
以後その体制が定着したというのが実状だと思う
 
頼朝が長生きしてたらもっと朝廷に近づいていって
平氏政権と似たような形になってたんじゃないの
 
 
しかしそういう頼朝がトップでなければ、
諸々の制度が朝廷お墨付きにならなかったかも
 
鎌倉幕府と呼ばれる体制は実のところ状況の産物で、
始祖=発明者ではなく、むしろ幕府体制の利を生かして
長期政権を築いた後の世の武士達の方が偉いと思う
144 :
2012/08/16(木) 04:34:22.88
 
>>141
頼朝がちょうどいいバランスからはみだそうとしたとき亡きモノにされたのかも
163 :
2012/08/18(土) 18:30:15.50
 
>>141
頼朝が中央志向というのは定説なのか
個人的にはあんまりそんな感じがしないのだが
 
143 :
2012/08/15(水) 20:10:55.69
 
頼朝の飲水病は藤原からの遺伝か
145 :
2012/08/16(木) 08:47:37.79
 
頼朝も尊氏も家康も幕府なんか作ってないよね
149 :
2012/08/17(金) 08:34:40.97
 
これより幕府を開く!
なんて言った人はいないわな
頼朝も尊氏も家康も

 

 

150 :
2012/08/17(金) 08:41:53.56
 
歴史がちょっと違ってたら鎌倉時代じゃなくて
藤沢時代とか逗子時代とか
 
 
 
156 :
2012/08/17(金) 21:36:41.15
 
米TIME紙
1000年を代表する偉人に日本人唯一選ばれたのが源頼朝
157 :
2012/08/17(金) 23:17:45.27
 
足利尊氏と頼朝はどっちがすごいの
164 :
2012/08/19(日) 01:47:52.12
 
中央志向というより中央に気を使わなければ幕府が立ち行かない
頼朝だけじゃなく実朝も同じ
幕府が中央からある程度距離を置けるようになったのは承久の変以後
 
 
179 :
2012/08/28(火) 14:19:22.87
 
大化の改新(天皇制の始まり)は難波京(大阪市)で行われそれは大化元年〜平成24年の今も続いている
 
 
 
 
 
 
 
189 :
2012/09/06(木) 12:40:05.95
 
関係ないけど、官僚を敵視し、敵対する事の愚は、政治学でも普通に語られてる事
だから官僚主導打破を掲げながら官僚の言いなりになるというのは間違いであって
そもそもが官僚を敵視する姿勢そのものが世紀の大愚作だったりする
国*は現代の科挙であって、キャリアはそれをパスした選りすぐりの人材達
そんな勢力を相手に、貴族でも土着の権力者でもない民選の政治家が勝てるわけがない
官僚を尊重しつつ、有効活用する、という方向でしか、改革なんてできっこない
 
 
205 :
2012/12/27(木) 20:34:41.04
 
源頼朝>藤原秀衡>>>>>>>>>>平清盛
207 :
2012/12/28(金) 00:16:46.27
 
水鳥の羽音にビビッて敵前逃亡する平家軍では、奥州十七万騎と謳われた平泉の軍勢に勝てんだろ
213 :
2012/12/31(月) 15:58:38.28
 
>>207
頼朝の配下に入った東国武士たちはそれ以前は平氏の家人
>>212
そんなことはない。せいぜい義朝が独力で開拓した人脈くらいだ。
208 :
2012/12/28(金) 00:22:31.46
 
一ノ谷へ向かう追討軍は源氏方1(一、二千余騎・・・『玉葉』)に対して、平家方は10(数万、二万余騎・・・『玉葉』)。
 
 
その時の寿永三年の関東は関東飢饉という状況で兵糧調達困難により兵が不足していた。
おまけに地の利、城郭戦という有利な状況があったのにも関わらず、平家は惨敗を喫した。
結局平家の敗因は単に弱いから。
 
 
いくら兵力差があったといっても水鳥の羽音(『山槐記』)で逃げ出すとか兵失格だしw
九州でも上陸できずに鎮西武士にシッ、シッと軽くあしらわれた。
すぐに敵前逃亡するわで、やる気なさすぎw
 
 
『山槐記』・・・宿傍池鳥数万俄飛去、其羽音成雷、官兵皆疑軍兵之寄来夜中引退、上下競走www
『吉記』・・・於子越宿館失火出来、扈従者中、坂東輩等放火云々、上下失魂之間、或棄甲冑、或不知乗馬逃帰了www
『吾妻鏡』・・・所集于富士沼之水鳥等群立、其羽音偏成軍勢之粧、依之平氏等驚騒www
『愚管抄』・・・宗盛ハ水練ヲスル者ニテ、ウキアガリウキアガリシテ、イカント思フ心ツキニケリ。サテイケドリニセラレヌwww
214 :
2012/12/31(月) 16:02:28.84
 
>>208
後白河の義兵的位置づけの頼朝のほうが何だかんだ有利だよ、実際、頼朝は後白河の忠臣だし
一ノ谷だってそうだし、富士川は平氏の軍制の変化とか色々要因がある
 
墨俣や水島では破ってるんだから兵員の質がそうそう違うわけではない
 
ちなみに古典平家を見ると、個人個人の組打ちでは平氏方の有力武士は勝率が高かったりする。
209 :
2012/12/28(金) 11:28:06.21
 
平清盛からしたら、武門の棟梁の源義家の後胤の嫡流は
源義忠の子孫たちのほうでしょう?
父親の平忠盛は、源義忠から名前を貰っているし。
俺は、河内源氏とも、うまくいっているぞと。
210 :
2012/12/28(金) 23:10:59.95
 
清盛と頼朝は子孫が絶えたことで同一視する奴がいるが、それは比較論にならん
 
清盛は平氏一門のための平氏政権
頼朝は東国武士のための武家政権
 
根本が違うのだよ
だから源氏将軍が三代で断絶しても、鎌倉幕府は続き、頼朝以来の判例が
御成敗式目でも有効とされ、室町時代にも引き継がれた
224 :
2013/09/16(月) 14:46:05.01
 
後白河は日本一の大天狗と恐れられてたわけだが
平家も木曽も義経も後白河に体よくあしらわれ滅んでるわけで
228 :
2013/09/16(月) 21:29:38.91
 
>>224
日本一の大天狗(笑)
234 :
2013/09/17(火) 14:17:06.04
 
>>224
いや、体よくあしらうつもりなら後白河が義仲と同レベルまでおりて、
直接合戦に及んだあげくボロ負けしてとっ捕まるなんて醜態をさらす必然性はどこにもないわけでな。
端的に馬鹿ですよ。
226 :
2013/09/16(月) 21:24:18.76
 
織田信長は右大臣
島津久光は左大臣
229 :
2013/09/16(月) 22:06:12.75
 
平家政権は畿内惣官職が幕府と類似の性格を持つと
言われているものの結局のところ
藤原家の真似事だからな
231 :
2013/09/16(月) 23:33:40.36
 
平泉政権が武家政権の原型という説もある
233 :
2013/09/17(火) 14:15:37.90
 
日本一の大天狗、高階泰経説もあるのだな。
まあ、大天狗が後白河を指しているとしても、頼朝さんは「評価する」文脈で使ったわけじゃないのは明白だけどね。
236 :
2013/09/17(火) 22:31:20.48
 
平清盛の構想を実現したのが足利義満
王朝政権の接収と大々的な貿易
239 :
2013/09/19(木) 09:18:06.93
 
>>236
あーなんかわかる
248 :
2013/09/21(土) 20:58:36.19
 
保ってないよ
後鳥羽は実朝との協調が暗殺で破綻して関係再建に失敗したけど
後白河の場合はおのれの好き嫌いで朝威を完璧に失墜させてんだから
 
後鳥羽のやったことは全て後白河がやってるよ
頼朝君が優しかっただけですよ
250 :
2013/10/22(火) 20:56:14.05
 
>>248
後白河はあれでうまくやってた
頼朝は完全に後白河の手玉に取られている
 
頼朝が後白河を好きにできたなんてとんでもないw
 
まあ、後白河に流罪を解いてもらってこその頼朝だったし
あまりにも頼朝の思い通りにならないものだから「大天狗」って言わせてる
255 :
2013/10/24(木) 01:38:42.64
 
頼朝と後白河は共犯関係 
いろんな意味で 
256 :
2013/11/08(金) 09:35:44.03
 
それぞれ源氏・平家の棟梁だけど頼朝のほうは北条氏と有力御家人の神輿的な側面が強いような。
平家の政権は清盛あってのものだけど、鎌倉幕府にとって頼朝はテープカットの役目を終えたら後は用済み。
257 :
2013/11/08(金) 18:10:09.63
 
>>256
豊臣秀吉も秀吉あっての政権だが秀吉いないとすぐこけた。
徳川政権は老中たちがしっかりしてれば将軍が頼りなくてもやっていけた。
 
政権の安定性をとるならばトップ頼み政権は脆弱。
 
 
 
261 :
2013/12/22(日) 21:58:11.78
 
朝廷と着かず離れずの絶妙な距離感覚を保ちつつ独自の
幕府を作り上げたのは偉大
頼朝自身、父の義朝や平清盛の失敗を見てきて
そこから学んだ部分もあったんだろうな
264 :
2013/12/27(金) 00:57:56.21
 
鎌倉中期に摂家将軍や宮将軍を迎えるなどしてたけど
基本的に鎌倉幕府は朝廷と着かず離れずで
その二重権力構造が消滅するのは室町になってからか
267 :
2014/03/05(水) 15:33:00.45
 
朝廷という既存の権門の中で権限を掌握した平清盛
戦乱における非常大権を平時体制の枠組みの中に取り込み
新たに権門を作り上げたのが源頼朝
278 :
2015/02/26(木) 01:27:27.75
 
河内源氏の伝統芸です
281 :
2015/04/16(木) 05:20:48.12
 
大友能直と結城朝光は、
落胤じゃなかったら男色相手だろう
頼朝も美少年大好き
283 :
2015/05/15(金) 09:35:47.17
 
海外の研究書では完全に大友能直は頼朝の愛人ってことになってる
英語Wikiにまで書かれる始末である
284 :
2015/05/15(金) 09:44:34.03
 
>>283
Wikiはあてにはならない。誰でも編集できるから。
大学の論文でWikiの基準を参考文献にしたらアウト。
285 :
2015/05/15(金) 10:12:23.38
 
そのWikiの引用元は「Homosexuality & Civilization」Louis Crompton著とある
結構いい加減なことも書いてそうだけど
どういった経緯でそれが海外の学者さんに伝わったか分からない
 
293 :
2016/05/15(日) 17:50:50.57
 
高熱で苦しんだ末に死んだ平清盛 死因はインフルエンザか
http://news.nifty.com/cs/item/detail/postseven-410702/1.htm
300 :
2017/03/02(木) 21:50:13.10
 
平清盛、足利義満は天皇家を一族で乗っ取ろうとした簒奪派
 

 

引用元:http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1326285478/

 

 

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